February 29, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 30  ドイツ リューデスハイム1

コブレンツ観光後、ライン川に沿って約69km離れたリューデスハイムに着いた。ブドウ畑とワインレストランが軒を連ねるドロセルガッセ(つぐみ横丁)で有名な町。有名なぶどうの産地ラインガウとローレライの間に位置する。コブレンツからリューデスハイムまでのライン渓谷中流上部は世界遺産に指定されている。我々の旅で第4番目の世界遺産である。
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February 28, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 29  ドイツ コブレンツ2 ドイチェス・エック 

昼食後、散歩しながらドイチェス・エック(Deutsches Eck) へ行った。
ライン川とモーゼル川の合流地点である
ここドイチェス・エックにはウィルヘルム1世の大きな騎馬像があった。
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February 27, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 28  ドイツ コブレンツ1 

ケルン観光後、約107km離れたコブレンツへ移動した。
コブレンツは、ライン川とモーゼル川が合流する地点に位置するヨーロッパの水上交通の要衝である。市内に入り、Altes Brauhaus Koblentz で昼食をとった。料理はポーク料理であった。 
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February 25, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 27  ドイツ ケルン大聖堂 3

ケルン大聖堂のHPのバーチャルツアーは非常に参考になる。
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February 23, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 26  ドイツ ケルン大聖堂 2

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ケルン大聖堂の主要寸法

  • 全体の縦幅:144.58 m 、全体の横幅:86.25 m
  • 南塔の高さ:157.31 m 、北塔の高さ:157.38 m
  • 建築面積:7,914 m2  である。
    内部のステンドグラスの美しさには感動をおぼえる。
    更に注目すべきは、私の好きなドイツの現代絵画の巨匠 
  • ゲルハルト・リヒターのステンドグラス である。

    大聖堂の南に位置する窓は、2007年8月26日よりドイツの芸術家ゲルハルト・リヒターのデザインによるものが公開されている。 第二次世界大戦中の爆撃によって大聖堂の南の窓が破壊されると、一旦はWilhelm Teuwen氏がデザインした窓が取り付けられたが、この窓は透過する光の眩しさのため機能不十分だと考えられた。ケルン大聖堂中央建築協会総会は新しいデザインに20世紀のカトリック殉教者の具象的な肖像を希望し、この仕事に2001年に最初に着手したリヒターは国家社会主義の犠牲者の処刑シーンを映した古い写真に基づく2つの小さなデザインを考案した。しかしリヒターはこの非常に残酷なシーンはモチーフとして不適切であり他の歴史的なモチーフは時代にそぐわないと考えはじめた。

    新たに考案されたリヒターのデザインは中世の数学的意匠による抽象的な模様と彼自身の用いた幾何学的な構成とを結合するものであった。 新たな窓はそれぞれが9.6平方センチメートルの色のついた正方形のガラス1,1500枚から成り、複雑な直角の格子模様を生み出している。またリヒターが選んだ72色は、大聖堂の中世のガラスにも使われており、新しい窓を教会の内装の配色に調和させると思われた。ステンドグラスの各部分を分けるのに伝統的に用いられたは2mmあまりの黒のシリコーンに置き換えられている。

    色の配置はMike Karstens氏の開発したコンピューターの乱数発生プログラムによりランダムに決定された。この配置はランダムでありながら最大限の無秩序を生み出すために慎重に組織されている。それゆえ壮大かつ豊富な色の印象を与えるが、同時に厳格に直角な格子模様がカラフルな混沌に高度な調和を添えている。この色配置の法則は1966年から1974年に製作されたリヒターの商業カラーチャートに基づいた初期のパネル絵にさかのぼる。

    彼のデザインはとくにケルンの聖職者たちの間で論争の主題となった。反対派の中では彼のデザインはしばしば過度に現代的、抽象的であり、ゆえに大聖堂には合わないと考えれ、具象的で物語的な描写が推奨された。しかし伝統的にはステンドグラス窓が必ずしも具象的なシンボルを描写をする必要はなかった。

    ケルン大聖堂は19世紀20世紀に製作された窓のほかに、1260年から1562年に製作された43のステンドグラス窓を有している。これらは計4100枚のガラスから成り、そのうち1500枚が具象的なモチーフを表現しているが、残りのガラスは程度の差こそあるが装飾的なものであり、植物をモチーフにしたものや抽象的で幾何学的なパターンを用いているものがある。

    また注目すべきは、内陣の南と北の3つの採光用窓である。これらの頂点近くにはリヒターのデザインに類似した小さな四角からなる格子模様の丸窓があしらわれているのが見られる。これらは1300年くらいに製作されたものであるが、この点にリヒターは気づいてなかったという[4]

    リヒターのデザインした窓について、2006年にケルン大聖堂主席司祭であるNorbert Feldhoff氏は「生命を吹き込み、活気付け、瞑想を促進し、わたしたちに宗教を受容する空気を作る」と述べている[5](Wikipedia)

  
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February 22, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 25  ドイツ ケルン大聖堂 1

今回の旅の4日目である1月14日(木)の朝、我々はケルン大聖堂の見学に行った。ホテルから近いので我々は歩いて皇帝ヴィルヘルム2世の騎馬像を遠くに見て、昨晩飲んだ居酒屋を左に観ながら市街地を大聖堂に近づいて行ったが、とにかくでかい! ゴシック様式の世界最大の建築物である大聖堂は圧倒的な存在感である。
余りにも大きいので、近くでは一枚の写真に収まり切れないのである。
ケルン大聖堂は、夜のライトアップも美しい。
今回の旅で第三番目の世界遺産である。それでは中に入ってみよう。
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February 21, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 24  ドイツ ケルン 1

ボンのあとは北へ約27km離れたケルンに移動してホテルに入った。ホテルはライン川沿いのマリティムケルン。夕食はホテルからケルン大聖堂の方へ歩いて約15分のところにあるBrauhaus Sion で食べた。ケルシュビールとソーセージを味わった。やはり、ドイツのビールは旨い。
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February 20, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 23  ドイツ ボン2

散歩の途中、椅子に腰かけて紙巻きたばこを上手に巻いているおばあさんに話しかけた。地元の人であった。その後ボン市内のマーケットでハムとチーズを買った。
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February 19, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 22  ドイツ ボン

アーヘン観光後、我々は約91km離れたボンへ移動した。ボンは分断時代の1949年から1990年まで西ドイツ首都であった。
かつてこの都市には
1288年から1803年までケルン大司教が暮らしていた。作曲家ベートーヴェンの生誕地・シューマンの終焉の地としても知られている。
我々は、雨上がりのボン大学キャンパス、市庁舎、マーケットを通り抜け
ベートーベンハウスへ行った。
ここは写真撮影が許されなかった。私は、ベートーベン のデスマスクは知っていたが、41歳のベートーベンのライフマスクをフランツ・クラインという彫刻家がとっていたという事実は知らなかった。
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February 17, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 21  ドイツ アーヘン大聖堂その2

大聖堂の内部は素晴らしいの一語に尽きる。天井モザイク画とガラスの礼拝堂のステンドグラスの精緻な加工技術と美しさは他に例のないくらいである。この内部については3Dで立体的な臨場体験ができるこのサイトは是非見てほしい。
内部は原則撮影禁止なのであるが、私は1ユーロを払って許可してもらった。 この大聖堂は外部構造も素晴らしく、「 古典主義様式ビザンティン様式そしてゲルマン様式-フランク王国様式
の要素を備えた心を奪う建築は、きわめて重要な記念碑的建造物の真髄である」といえる。
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最近読んだ本 高村薫「空海」

高村薫の「
空海
高村 薫
新潮社
2015-09-30

」を読んだ。有名な小説家であるにもかかわらず高村さんの本はこれまで私はほとんど読んだことがなかった。しかしこの本は面白かった。言うまでもなく司馬遼太郎の「空海の風景」との比較においてである。
空海の風景〈上〉 (中公文庫)
司馬 遼太郎
中央公論社
1994-03-10

の小説的アプローチに対して、高村薫はいわばルポルタージュの手法で空海に迫ろうと考えたのか?このやり方が成功したのか? 私にはわからない。しかし、自分の原体験を踏まえて、多くの関連資料を読破し多くの人々に取材をし、写真や便利な脚注を入れて「現代にとって空海とは何か?」を追求しようとする真摯な姿勢は大きく評価できると思った。この本は、宗教のことを勉強していない人にとっては決して読みやすい本ではないと思うが、読了すれば多くのことが得られると思う。私は、題字「空海」は高村薫の自筆であることに驚くとともに、最後にある松永有慶(前高野山真言宗管長)との特別対談を興味深く読んだ。

   
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February 16, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 20  ドイツ アーヘン大聖堂その1

昼食後、Sparkasse Aachenという銀行の前を通ってアーヘン大聖堂に行った。アーヘン大聖堂は外側の一部が修復中であった。中に入ると、入り口近くの天井壁画に目を留めた。細かいモザイク細工が素晴らしかった。アーヘン大聖堂はしばしば「皇帝の大聖堂」(ドイツ語Kaiserdom)として言及され、この大聖堂は北部ヨーロッパでは最古のものである。786年カール大帝がアーヘンの宮殿教会の建設を始めた。814年にカール大帝が死ぬと彼は自身の大聖堂に埋葬され、彼の骨はいまも特別の神殿に保存されている。 大聖堂は、一千年以上の時を経て、現在の装いを調えた。 アーヘン大聖堂の中心は宮殿教会である。それは後世の増築部分と比較すると驚くほど小さいが、建設当時は、それはアルプス以北では最大のドーム建築であった。 古典主義様式ビザンティン様式そしてゲルマン様式-フランク王国様式の要素を備えた心を奪う建築は、きわめて重要な記念碑的建造物の真髄である。アーヘン大聖堂は、936年から1531年にかけての約600年間に神聖ローマ帝国の30人の皇帝たちの戴冠式が執り行われた場所でもある(Wikipedia)。
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February 15, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 19  ドイツ アーヘン2 昼食

アーヘンは小さな町である。市立劇場、市庁舎、マルク広場等旧市街周辺を散歩しながら昼食となった。レストランは、1438年にできた居酒屋という古い歴史を持つ ゴールデナーシュバン(Goldener Schwan 黄金のスワン)。食事は、シンプルなものであったが、パンとやはりビールはおいしかった。ここは歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気の良い店であった。食事の後はいよいよこの旅の第2番目の世界遺産であるアーヘン大聖堂である。
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February 14, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 18  ドイツ アーヘン 1

旅の3日目(1月13日水)の朝、我々は約236km離れたドイツのアーヘン
向けて出発した。 お昼前にアーヘンに到着。トイレ休憩のためスーパーマーケットに立ち寄った。ところでこの町のアーヘン工科大学はドイツでも著名な理工科系大学である。
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February 12, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 17  夕食 ヒュッツポット

夕方、美術館のあるデン・ハーグからアムステルダムに移動して、中央駅近くの運河沿いのレストランDe Kroonprins で夕食となった。
何故か店の入り口の上に自由の女神の像があった。
ここではオランダ名物のヒュッツポットを食べたが、味はまあまあであった。しかしここの黒ビールはとてもおいしかった。
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February 11, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 16  マウリッツハイス美術館 その2

 マウリッツハイス美術館は、本当に貴重な作品を保有している。
ハンス・ホルバインルーベンスヴァンダイク等素晴らしい肖像画作品に出会えたのは幸運であった。 私は、記念に、ミュージアムショップでレンブラント作品のDVDを購入した。
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February 10, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 15  マウリッツハイス美術館 その1

マウリッツハイス美術館は、2014年に約2倍の広さに拡張されリニューアルオープンした。この美術館はすばらしい。ここで見逃せないのはレンブラント、フェルメール、ハンス・ホルバイン等である。レンブラントの自画像、フェルメールの「デルフトの眺望」 「真珠の耳飾りの少女」には何度見ても感動させられる。
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February 09, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 14  ハーグ  ビネンホフ

ザーンセ・スカンスの後は、約72km離れたデン・ハーグ(Den Haag)へ向かった。
デン・ハーグは、 事実上のオランダの首都で、アムステルダムロッテルダムに次ぐオランダ第3の都市でもある。

スターテン・ヘネラールと称されるオランダ議会の議事堂が所在している。議事堂のほかに、王室の宮殿、中央官庁、各国の大使館などが置かれており、ほぼすべての首都機能を担う、国内政治の中心都市である。そのほかにも、国際司法裁判所旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷国際刑事裁判所等の重要な国際機関が複数置かれ、「平和と司法の街」とも呼ばれる。一般に首都とされているアムステルダムは、憲法において首都と規定され、かつ、王宮も存在する(ただし実質的には離宮)ものの、歴史的に首都機能はハーグが担ってきている(Wikipedia)。
 我々はバスを降り、ウェレム2世王の大きな騎馬像のある正門をくぐり、国会議事堂、総理府のあるビネンホフ(Binnenhof) の中を通りながら、ある
場所へ向かった。それはマウリッツハイス美術館である。
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February 08, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 13  ザーンセ・スカンス その2

 ザーンセ・スカンスでは、木靴の販売店やチーズの販売店を覗いた。
チーズは素晴らしいものばかりであったが、大きいのが多いため重くて荷物になるので小ぶりのスモークチーズを1本買った。帰国後毎日食べているが、とてもおいしくもう1本買えばよかったと反省した。オランダに何故
木靴があるかについては、オランダ王国は、ライン川下流の低湿地帯に位置し、国土の多くをポルダーと呼ばれる *干拓地が占めています。*干拓地:オランダは13世紀から干拓で国土を広げて行きました。その為、湿めった土や砂を多く含んだオランダの土地はぬかるみやすく、その上を歩くのは、木靴が適しているからだそうです。」
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February 07, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 12  ザーンセ・スカンス

昼食後は約18km離れた北ホランド州のザーンセ・スカンスへ行った。
ザーンセ・スカンス(Zaanse Schans)は風車の村と言われ、もっともオランダらしい風景を残した場所である。風車、木靴、チーズで有名である。実にのどかな風景で、心が癒されるところであった。
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February 06, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 11  にしんのグリル

旅行二日目(1月12日火曜日)のお昼は、運河沿いのレストラン Le Rendez - vousで食べた。ここはオランダの郷土料理のようなものを出す店で、
スープは少ししょっぱかったが、にしんのグリルはおいしかった。ハーリングを売っている店が広場の近くにあったが、機会を逃してしまった。残念。
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February 05, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 10  GASSANダイアモンド工場

運河クルーズの後は、近くにあるGASSANダイヤモンド工場を見学することになった。年金生活者にとってはほとんど縁のないところであるが、目の保養のために見学した。ここではダイヤモンドを研磨するところを観たがかなり熟練の技術が必要なことが理解できた。ダイヤモンドだけではなく時計他アクセサリーも販売しており、販売説明会があったが我々のグループでは(中国人ではない)ほとんどの人が買わなかったように感じた。
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February 04, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 9 アムステルダム運河クルーズその2

Amsterdam canal Cruiseについては、たくさんのコースがある。小雨のため、景色が完全ではなかったが、大きな船の形をした科学技術センター中央駅を通過してゆっくり約一時間以上かけて出発点へ戻った。途中、大きな虹を観ることができた。
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February 02, 2016

ベネルクス3国・ドイツの旅 8 アムステルダム運河クルーズその1

  
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February 01, 2016

今年の初滑り  平湯温泉スキー場

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今年初めてスキー場へ行き初滑りを行った。テニスの仲間に薦められて愛知スキー協会主催のスノーフェスティバル2016年1月29日(金)夜---31日(日)に参加するため平湯温泉スキー場へ行った。宿は 中村館。志賀高原や八方に比べるとかなりマイナーなスキー場であるが、160名以上という団体が一カ所で競技や教室を自由に使えて、更に近くに団体がまとめて泊まれる広い旅館でがあるとなると限られてくるからだという理由にも納得がいった。私は確か一昨年の夏に高山へ行ったときに、新穂高や奥飛騨温泉郷とともに平湯の森に行ったことがあるが冬は初めてであった。今回はいくつかの選択肢があったが、私は原点に戻って基本を学ぼうということで競技には参加せず、上級者用のスキー教室に参加した。一日半というスケジュールの中で丹羽さんという指導者のわかり易く厳しい6時間以上にものぼる指導により、かなりレベルアップがはかれたと感じた。これでまた楽しく滑れるようになった。教室が終わった後で、近くの「平湯大滝」へ歩いて見物に行った。夏とは異なる冬の滝は美しかった。また絵の題材が一つ増えた。
  
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